さて、問題! 誰もがそこにあるのを知ってるけど、目の前にあって見えてるのに見えてなくて、ときどき存在してることすら忘れられちゃうモノってなーんだ? ……えっ? いや、違う違う。答えは“幽霊”じゃない。正解は? そう、クルマのフロントガラス!

そんなアホなことをいいたくなるくらい地味めな存在なのだけど、一部を除いたすべてのクルマにとって窓ガラスは欠かすことのできないもの、だ。

けれど僕はずいぶん昔から、ガラスが嫌いだった。というより、ガラスが怖かった。具体的にいつのことだったのかはとっくに記憶の成層圏を突き抜けて、10歳くらいの頃からかな? なんてボンヤリしてるのだが、何がきっかけだったのかは、たぶん死ぬまで忘れない。

僕が育った埼玉の実家の前には保育園があった。もちろん僕はその卒園生。そこは近所のガキどもが放課後になると集まって、キャッチボールをしたり鬼ごっこをしたり仮面ライダーごっこで誰かにライダーキックを食らわしたりして遊ぶ、平和な場所だった。あるときそこのグラウンドに、何の前触れもなく、退役した消防車両がやってきた。どんな用途に使われてた車両なのかハッキリとはわからないライトバン型の赤くて小さなヤツが、遊具のひとつとして置かれることになったのだ。子供たちが自由に乗り込んだりして遊ぶわけだから、今だったら親御さんたちが「危ないでしょ!」と撤去を求めたりするシロモノなのかもしれないが、時代はまだまだ長閑だった1970年代半ばの片田舎でのことである。

ある日、いつものようにグラウンドに行ってみると、その消防車両のフロントガラスに大きなヒビが入っていた。子供心に、これは危ない! と思った。何もわからない園児たちが不用意に触ってケガをするかもしれない、と。そこで正義感に燃えた嶋田少年は、ヒビの入ってるガラスを完全に割って破片を撤去しようと考えた。誓っていう。正義感から、だ。割ってみたかったから、じゃないんだからね。ホントのホントに。

嶋田少年はどこかから大きな石を持ってきて、少し離れたところからフロントガラスに投げてみた。割れない。もうちょっと近づいて放り投げた。割れない。クルマすれすれまで寄って思い切り叩き付けた。見事に割れて、小さな破片がキラキラと飛び散った。そのうちのひとつが僕の左目に飛び込んできて、タイミングが悪かったのか、まぶたの裏側に入った。間違いなく痛かったのだろうけど、それはあまり覚えてなくて、視界がじわりと赤くにじんだことだけが強烈な記憶として残ってる。

結局そのときの僕の純粋な正義感は、かかりつけの医院では目の最適な治療ができないということで目医者さんに強制送還され、お医者さんからはあと数ミリずれてたら失明してたと叱られ、保育園の先生や近所のジジババからは公共のものにタチの悪すぎるイタヅラをしたと決めつけられて反論むなしくブチ怒られまくり、いつものごとくあちこちに頭を下げさせられることになった親父からはグーで頭をゴンをやられたうえに日頃の行いが目に見えて悪いから誰にも信じてもらえないのだと説教され、それから半月以上も目医者さんで眼球に軟膏を塗ってもらって眼帯でふさぐ生活を強いられる、というかたちで決着を見た。思い返せば何と温かい昭和の時代、である。

この経験から得た最も大きな教訓は、自分には正義の味方になる才能がないのだということ。そして学んだのは、クルマのフロントガラスは簡単には割れないが、木っ端微塵に割れたらわりと恐いことになる、ということだった。

僕は社会に出てクルマ雑誌の編集者になってから急速に視力が悪化して今に至ってるのだけど、トラウマがあるからぷにょんぷにょんの使い捨てコンタクトレンズしか目に入れられない。ぷにょんぷにょんの使い捨てが安く手に入るようになる前はメガネを使ってたのだけど、ズボラなくせして変なとこだけ神経質だからちょっとした汚れや微細な付着物がやたらと気になって、アホかと思えるくらい拭いたり洗ったりを繰り返してた。いつの間にか目の前の透明なモノが割れる恐怖よりそこがクリアじゃないことの方が嫌だと感じるようになっていたのだ。

実はクルマの窓ガラスも同じで、ボディが汚れても後で洗えばいいと思えるのに、ガラスが少しでも汚れると即座に綺麗にしたくなる。夏の高速道路などで不幸にも虫を殺生してしまうと、その痕跡を見ながら運転するのがたまらなく嫌で、サービスエリアのインデックスが出てくるたびに滑り込んで拭き取りたくなるほどだ。いつまで経っても目的地に着けないから諦めるようにしてるけど。

ところが、縁あって少し前に僕のところにきた1970年式のフィアット500Lは、ボディやパワートレーン、足周りなどはほとんどレストア済みといえる状態に仕上がっていたのに、フロントとリアのガラスは、おそらく新車時のモノがそのままはめ込まれていた。前後とも小傷がいっぱい。フロントにいたっては50年以上もワイパーに撫で回されてきたことが見て取れる扇形がふたつ、くっきりと刻まれていた。

自分の所有車両じゃないので、しばらくは耐えていた。けれど、仕事で向かった雨の夜の軽井沢で、街灯のない区間を走っていたときのこと。対向車が放つ強い光を屈折させる荒れたフロントガラスと役目をあまり果たさない貧弱なワイパー、行灯のようなぼんやりした明るさしか提供してくれないヘッドランプの総合力に打ち負かされて、視界をほとんど失いかけた。仕舞いには10km/hぐらいで徐行してるのに変な汗に苛まされる状態になった。なので、ほどなくしてフロントだけは新品に交換していただいた。ウインドーがクリアだというのは素晴らしい。人生まで明るく見通せるかのようだ。

だが、そうなると気持ちに引っ掛かるのは、いまだそのままのリアガラス。光や後方視界を乱すほどではないのだが、クルマを手洗いしてたりすると、どうにも透明な中に刻まれた傷が目について仕方ない。何せ車体も室内も含めて、ほかは綺麗な状態なのだ。

このフィアットは、つい最近Auto Messe Webというサイトでスタートした『週刊チンクエチェント』という連載記事のためにチンクエチェント博物館から長期でお預かりしてるのだが、僕だけ楽しい想いをさせてもらうのは申し訳ないので、いろんな人に乗ってもらって記事なり動画なりにしていただくメディアカーとしても活躍してもらおうと思ってる。声をかけていただければ喜んで貸し出しをする。せっかくの機会なのだから、できるだけいい印象を抱いてもらいたい。やっぱり後ろのガラスも綺麗にしておきたいな、と思えてくるわけだ。

そういうことなので、まずはリペアができるかどうか、小池自動車ガラス店の山田社長のところに相談しに行こうかと考えてる今日この頃だ。

ダラダラと長いわりに素晴らしくとりとめがなくなっちゃったけど、多くの人が普段はあまり意識してないクルマの窓って実は安全面や美観の面も含めていろんな意味で本当に重要なパーツなんだからね、というお話である。……お後がよろしいようで。

嶋田 智之(しまだ ともゆき/Tomoyuki SHIMADA)

嶋田智之1964年6月10日生まれ/埼玉県出身
クルマ好きがクルマを楽しみ尽くすためのバイブル的自動車雑誌として知られる『Tipo』の編集長を長く務めて自動車メディアの中で不動の地位を確立し、スーパーカー雑誌の『ROSSO』やフェラーリ専門誌『Scuderia』の総編集長を歴任した後に独立。クルマとヒトを柱に据え、2011年からフリーランスのライター、エディターとして活動を開始。

自動車専門誌、一般誌、Webなどに寄稿するとともに、イベントやラジオ番組などではトークのゲストとして、クルマの楽しさを、ときにマニアックに、ときに解りやすく語る。走らせたことのある車種の多さでは自動車メディア業界でも屈指の存在であり、また欧州を中心とした海外取材の経験も豊富。

無類のモータースポーツ好きでもあり、過去には自らドライバーとしてレースに参戦していたこともあることから造詣も深く、プロドライバーやチーム関係者など、レース業界にも広い交友関係を持つ。

日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。