ガレージのシャッターを開けると、僕のクルマはいつも、これからのドライブを待ちこがれていたかのようにキラキラと瞳を輝かせる。いつも帰宅すると、ガレージにバックで収めることを習慣としている。せっかく爽快なドライブをするというのに、バックギアを使ってスゴスゴとガレージから抜け出るというのも興醒めだからだ。

マイカーにツカツカと迫り、運転席側のドアに歩み寄る。フロントガラス越にコクピットに視線を送る。ダッシュボードやステアリングの裏側が話題の対象に上がることは少ないけれど、そこにも表情がある。微妙な隆起だったり凹凸だったり、クルマを開発した造形デザイナーの思い入れがそこにある。

そしてその隆起や凹凸は、日々それぞれ独特の表情を見せる。フロントガラスへの陽の当たりかたによって、おぼろげな優しさを感じさせることもあれば、キラリとエッジを際立たせることもある。

朝の陽の光は透明だから、コクピットーを攻撃的に感じさせる。光は低く、バケットシートに白と黒のコントラストを描く、夕方の陽の光は溶け込むようなオレンジ色だから、コクピットを優しく包み込んでいるように感じさせる。マイカーに乗り込む前から、感情をコントロールしてくれている感覚だ。これからのドライビングの対するテンションが、まるでクルマが整えてくれているようなのだ。

そのすべては、フロントガラスの反射によるものに違いない。ガラスは一見すると無色透明なのかもしれないけれど、陽の光の向きや色によってさまざまに表情を変える。それがドライバーの感情を無意識に操作してくれている。
「今日はちょっと足を伸ばして、ワインディングを走ってみるとするか」
 
ちょうどこの日、自宅のある神奈川県は酷暑に見舞われていたけれど、だからなのか、陽の光は青味かかった透明色であり、シートに刻む印影がいつにも増して鋭かった。だから、気持ちが高揚したに違いない。フロントガラスは無機質な透明の板なのかもしれないけれど、人間であるドライバーの気持ちをコントロールする力がある。行動パターンにまで影響してしまうような、あきれるほどの強い力を秘めているのだ。
それはまるで、演奏者をコントロールする指揮者のように大胆であり、油絵の下書きのように控えめでもありながら、確実にドライビングを操作してくれているのだ。

旧くから僕は、ガラスピカピカに磨くことを習慣としてきた。ガラスは磨けば磨くほど透明度が増す。その行為は、汚れを取るというよりも、ガラスという存在を消し去ることでもある。それを繰り返せば繰り返すほど、ガラスは陽の光の力を取り込み、指揮者のように自由に、下書きのように鮮明にドライバーの感情を弄ぶように感じるのだから不思議である。

僕はレーシングドライバーだから、サーキットはいつもヘルメットバイザー越しの景色を目にしている。アタック中にはその無色透明のフィルターを意識することはないのだが、おそらく無意識にドライビングテンションを操作されているように思うこともある。

スキーヤーがゴーグルの色味を変えることで滑降を操作するように、シールドを新調したライダーがいつもよりバンク角を増やしてワインディングを挑みたくなるように、レーシングドライバーもバイザーでアドレナリンの分泌量をコントロールしているに違いないと僕は確信している。
若い頃のようにマイカーをギリギリに攻め立てることはなくなかったけれど、先日久しぶりにワインディングを目指したのは、ガレージのシャッターを開けた瞬間にフロントガラスが僕の感情をコントロールしたからに違いない。そう思っている。

木下隆之

木下隆之木下隆之 1960年5月5日生まれ
 明治学院大学卒業後、出版社編集部勤務。独立後、プロレーシングドライバーとして活躍。全日本選手権レースで優勝するなど国内外のトップカテゴリーで活躍。スーパー耐久レースでは5度のチャンピオン獲得。最多勝記録更新中。ニュルブルクリンク24時間レースでも優勝。自動車評論家としても活動。雑誌にも11本の「連載エッセイ」に執筆。日本カーオブザイヤー選考委員。日本ボートオブザイヤー選考委員。